三陽の歴史 
今はお店で「毎度どうも!」と言ってるマスターですが、若い頃はいろいろと挫折あり、
若さゆえの突っ走りなどいろいろありました。そんなマスターの歴史の一部をご紹介!
(若い頃のことを紹介しようと思うといろいろありすぎます)
☆マスター☆血液型O型 牡羊座 人生の信条 真剣味 趣味 今はもっぱら「釣り」 シーズンはベイスターズの応援 願い 夜店で100円で買ってきた金魚が 100万円に成長すること!常連さんの指導つき? マスターは愛知県は三河の生まれです。12人兄弟の良家(?)の五男 として生まれ、何もかも不自由な、良家での(?)青春時代を過ごした。 五男(ごなん)に生まれた為、御難(ごなん)続きの人生! 親が一(いい)男(長男)に生んでくれたら、一(いい)男になっていたかも! 五男(ごなん)に生まれた為、だから今でもへそはねじれてひん曲がっている。。。 でも何故か心はまっすぐ。。。 |
10代の時、サラリーマン生活(トヨタ自動車工業本社)を送るが途中でコロンブスの新天地を
求む心境になり、転職について親達の反対を押し切り、実力行使で家出し、
横浜に新天地を求め、横浜大陸に来たが、金を使い果たし、飲食店で丼洗いをする。
朝早くから夜遅くまで働くことが好きだったので、がむしゃらに働くが、
店の非常にやさしい主人とめぐり合うが、急死した為、途方に暮れるが、田舎に帰ることも
できず、店を持つために壊れたラーメンの屋台を500円で買ってきて、屋台を始める。
屋台を始めるときに、これまた親切な方とめぐり合う。その方が
駅のすぐ横の一等地の自分の空き地をただで屋台をやらせていただく。
その方が「その代わり、必ずお店を持つようにがんばれ!」と。
「屋台は手作りの特製の屋台」でした。
雨の日も台風の日も雪の日もマスターは屋台を引きながら、
一生懸命働きます。
台風の日など屋台の屋根の上に大きな石をのせ、飛ばされない様にして
商売をするが台風や雪の日は、その日は売れないがお客様が必ず見てて
くれており、翌日からの商売に必ず結びついていった。
そして有難いことに、たくさんのお客さんにきてもらえるようになります。
その後、マスターは横浜桜木町の野毛に現在のお店を出すことにします。
昭和43年2月23日高級チャイニーズレストラン(?)5坪「三陽」開店!!
そして今に至ります。今でも屋台当時のお客様が来て頂いております。
三陽のVIP席といえば、二人がけのテーブル「ロイヤルボックス」
カウンター席で一人席はたそがれシート。
カウンター二人以上はロマンスシート、カウンター入口の方はシルバーシート!
店に入れないお客様は店の入口の軒下にベニヤ作りの「ビアガーデン」、
それ以上のお客様は折りたたみ机で店の向かい側に野毛の「三陽の御用邸」を
土、日曜日はセットして食べて頂きます。
「お客様あっての三陽と考えている」マスターが思案の末、
考え出したものです。
今や桜木町野毛の名物になっています。
三陽はこれからも一生懸命やらせていただく所存です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。